1 萩(はぎのお)

 
 



上部左側の盆地が萩尾である。
何んと言っても一日バス2回の僻地である。

地形から見て、鳴淵ダムの水源地であることが分かる。
江戸時代の水飢饉と時水源地として活躍の記録が残っている。







「萩尾大学の一日教師」

生徒数9名の萩尾分校で、萩尾(はぎのお)の歴史を
教えに行きました。残念ながら地元の子供はいなくて
小学校を自然の中で育てたいという両親の希望で外部
から6年間だけ萩尾で暮らすこども達ばかりでした。
 皆熱心に聴いて、ハキハキと感想を述べてくれました。




現在の萩尾分校



「明治の萩尾分校」




「大正の萩尾分校」



上の列で子供を抱いてるのが、祖父の弟
子供は昨年亡くなった伯父



「はぎのお時代の我家」




男ばかり八人を生んで育てた豪傑婆さん「カネ」
八十八歳の志賀海神社の八乙女








             宗像市赤間 






             
3 新宮町

立花直次の子供のうち伝承ではあるが、萩尾大学の娘「松尾殿」が生んだ男子
(庶子)が居り新宮町「高橋姓の祖」となったとされている。

吉永正春著「筑前戦国史」295-296

直次の9世孫に一宮藩最後の藩主加納久宜(三池藩主立花種周 の孫)がおり、その末娘・夏子は、麻生グループ創業者の炭鉱王麻生太吉の息子である麻生太郎(先代)の妻であった。二人の間の長男太賀吉と、和子(吉田茂の三女)の間に生まれた息子が麻生太郎(内閣総理大臣(第92代)である。